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韓国の「シブヤケイ」の話

  • 執筆者の写真: Takeda Hirotsugu
    Takeda Hirotsugu
  • 2017年9月8日
  • 読了時間: 2分

韓国で「シブヤケイ」が話題になっていた時期があります。日本語の「渋谷系」という言葉がそのまま韓国で使われていたんですね。大体2006年〜2007年ごろの話です。

とはいえ、日本語の「渋谷系」というのもなんだか曖昧模糊とした言葉なんですよね。

少なくとも90年代終わり頃にはピチカート・ファイヴだとか、フリッパーズ・ギターだとか、ジャズっぽさを持ったお洒落な感じのポップスを指すことが多かったんですが、「渋谷系」という言葉自体がなんとなくお洒落なイメージを持ち始めたせいなのか、そのうちミスチルの新譜にまで「渋谷系のナントカカントカ」的なPOPが付けられるようになって行きました。

韓国の「シブヤケイ」は「インディーズのお洒落っぽい音楽」を指して使われることがほとんどでしたから、インディーズの新しい潮流を表現するのにちょうどいい単語があった、みたいな感じなのかも知れません。

今でこそ池袋化しているとか悪口を言われてますが、当時の渋谷はまだギリギリ「お洒落な街」の土俵際くらいで踏ん張ってましたからね。

ただし、韓国のインディーズからお洒落っぽい音楽が現れ始めたのは、「シブヤケイ」の登場よりかなり前のことになります。

これは1999年にリリースされたRoller Coasterの『ネゲロワ(Come Closer)』という曲です。

Roller Coasterのデビューアルバムは日本でも結構注目され、その後ピチカート・ファイヴの小西康陽がこの曲をリミックスしてRoller Coasterの日本デビュー盤に提供していました。

ビデオはいまいちダサいですけどね(笑)。

彼らは2006年までの間に5枚のアルバムを出し、実質的に解散状態になってしまいますが、その間にも新しいアーティストが続々と登場しました。

中でもClazziquai Projectは日本でも人気があり、日本盤CDをリリースしただけにとどまらず、渋谷のクラブクァトロでのライブも実現しました。

彼らの音楽はクラブミュージックとして日本に紹介されていたんですが、人気ドラマ『私の名前はキム・サムスン』の主題歌を担当していたので、クラブミュージックに興味のない人にも案外知られていたのではないかと思います。

これは彼らにとっての最初のヒットとなった『Sweety』という曲です。

関係ないですが売れる前のイ・ジュンギが出演してます(笑)、

と、ここまで書いたらなんだかノッて来てしまったので、もうちょっとこの話続きます(笑)。

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