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韓国の「シブヤケイ」の話その2

  • 執筆者の写真: Takeda Hirotsugu
    Takeda Hirotsugu
  • 2017年9月10日
  • 読了時間: 2分

前回の続きです。

韓国で「シブヤケイ」という言葉が使われるようになる前、90年代末頃からお洒落っぽい雰囲気を持った音楽が注目されるようにはなっていました。「お洒落っぽい」というのも曖昧な言い方ですが、要は凝った演奏を聴かせることに重点を置いた音楽でした。

歌手と演奏者の比重は良くて五分五分、場合によっては歌は添え物程度ということもあるような音楽です。

例えば2003年にリリースされたAsoto Unionの『Think about 'chu』という曲ですが、ボーカルはあんまり前に出てこないですよね。

ドラマーが歌っているので物理的な位置もかなり後ろですが、もちろんそういうことを言っているわけではありません。

この頃、韓国は90年代半ばから始まったIMF危機を脱したばかりの頃ですし、世相的なものも影響しているのかも知れないですが、若者が音楽に求めるものが変わり始めていたんでしょうね。

その頃、僕は新大久保でよく飲み歩いていたんですが、当時の新大久保はまだ観光地化する前で、韓国人留学生や日本で就職している韓国人と一緒に飲む機会が結構ありました。

話を聞いていると(ちなみに、みんな日本語ペラペラでした)「日本に来たかった」という人と、「韓国を脱出したいから日本に来た」という人が半々くらいだったんですよね。

その中に、韓国でDJをやってた人が2人いたんですが、彼らが口を揃えて言うのが「韓国には新しい音楽が根付きにくい」ということでした。市場が小さいので仕方がない面はあるにせよ、比較的自由度が高いはずのクラブでさえかけられる曲の幅が狭かったんだそうです。

誇張されてはいますが、この曲のビデオみたいな雰囲気を感じていた若者は結構いたんじゃないかと思います。

ヒップホップ系に限らず、フラストレーションを抱えつつ活動を続けていた若いミュージシャンたちがあちこちにいて、それが2005年〜2007年頃に「シブヤケイ」という呼称を用意されるほど一斉に花開いたわけですね。

もっとも、単に彼らの努力が実を結んだというシンプルな話でも無かったようですし、花開いたた後もなかなか一筋縄では行かなかったんですよね。

その辺の話はまた次回ということで。

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